きなこ通信

主に多発性円形脱毛症観察日記です。に加えて認知症のおかん観察日です。

おかん観察日記 14 (入院の巻)

これは、2020年3月中旬の話です。

 

さてさてこれは、13の続きです。

 

入院当日。

自分で行く!と言いきったオカン。

ちゃんと着替えてくれました!

が………………

 

私は私の用意している間に呼ばれました。

 

『今日、エライで病院やめとくわ』 

 

はい。きました。

さてさてどうしたものか…

 

時は9時過ぎ、

介護タクシーのお迎えは、10時。

 

まず、

訪問の先生に電話して

経緯を話して、救急車で連れて行ってくださいとの事。

本当なら、昨日その場で呼んでもいいくらいだった。と言われました。

 

救急車、呼ぶの何度目だろう…と思いながら呼びました。

プロなので、仕事の早いこと!

あっという間に降ろして頂き

搬送されました。

 

到着後は、検査待ちです。

 

コロナにビビっていた時期です。

今思えば、皆んなの協力もあり

全然大丈夫だったと思うんだよね〜

 

どれくらい待たされたかな?

3時間くらいだったかな?

2時間だったかな?

 

呼び出され、診察内容と

延命措置の確認をされ

(これは年齢関係なく確認されると思うので本人と話しておいた方が絶対にいいです)

うちは、認知症になる前

オカンとニュースで話題になると

よく話していたので

確認された瞬間、『しなくていいです。』

認知症になる前に本人も

そうまでして生きたくない。と言っていたので…伝えました。

年齢も年齢だから、

無駄にツライ思いしなくていいです。

と伝えたら、先生も頷いてました。

 

脱水症状も強いし

炎症反応も強いので

入院して治療して検査になりました。

 

多分、入院になると思っていたけど

入院準備していかなかったので

病棟に通され、必要な物を聞いて

(何度もお世話になってるので知ってるけど)

新しくなった病棟は、初めてだから

部屋も綺麗になって広くなってた。

必要なものは、翌日でもいいと言われたので

オムツ関係、普段なら近くのドラッグストアで

購入するところだけど

家に大量にあるので、それを使わねば!です。

 

オムツ関係、数枚は持参していたので

それだけ置いて帰宅しました。

 

毎日、睡眠不足で入院までの数日は

寝たのか寝てないのか分からない程

寝れてなかったけど

寝れる環境になっても眠れない。

寝ても呼ぶ声の空耳が聞こえて飛び起きる。

この現象は、オカンが入院して2週間程続きました。

今思えば、この頃心も身体もボロボロだったんだろね…

誰にも言えず、頼り方も分からず

相談する人も居なかったし

決断も全部私。

毎日がしんどかった。

ちょっと優しい言葉かけられると

直ぐ涙腺崩壊するくらい

追い詰められてたと思う。

この頃、初めて友達の前で泣いてしまった。

本当に申し訳ないことしてしまった。

泣かれると困るの分かっていても

止められなかったんだよね〜

 

そんなこんなで入院中

コロナ禍の最初の年。

まだお見舞い規制もされてなかったので

看護師さん達の負担が少しでも軽減できれば

と思い夕飯時間だけでも手伝いがてら

毎日通いました。

最初の頃は、食べない状態だったから

点滴だったけど

それが取れる前に看護師さんが

相談に乗ってくれて好きな物を伝えたら

先ずは食べれそうな物から出してみてしょう。と仰ってくれました。

フルーツから始まって少しずつ食べれるようになっていきました。

これは、間違いなく看護師さん達のお陰です。

ご飯もお団子みたいに食べやすいように

してくれたり凄く工夫してくれてました。

完食こそ出来なくても

そこそこ食べれるようになってくれて安堵してました。

食べれないと元気にならないからね〜

 

毎日、顔出していたから

看護師さん達にもいろいろ聞いたりして

『よくこの状態で見てたね。一人で見てたの?』と言われたりしました。

『私以外の誰も居ないのでそうです』と答えるしかないよね…

どうも夜になると私を呼んでたみたいです。

まぁー本人動けなかったからだろうけど…

名前だけ有名になってたかもね(笑)

 

入院して一安心していたら

次は、退院後の事です。

次から次へと頭痛いです。

 

違う意味で追い込まれていく事

この頃の私は、まだ知らない。

 

あ〜一人っ子は、シンドイです。