きなこ通信

主に多発性円形脱毛症観察日記です。に加えて認知症のおかん観察日です。

おかん観察日記 14 (入院の巻)

これは、2020年3月中旬の話です。

 

さてさてこれは、13の続きです。

 

入院当日。

自分で行く!と言いきったオカン。

ちゃんと着替えてくれました!

が………………

 

私は私の用意している間に呼ばれました。

 

『今日、エライで病院やめとくわ』 

 

はい。きました。

さてさてどうしたものか…

 

時は9時過ぎ、

介護タクシーのお迎えは、10時。

 

まず、

訪問の先生に電話して

経緯を話して、救急車で連れて行ってくださいとの事。

本当なら、昨日その場で呼んでもいいくらいだった。と言われました。

 

救急車、呼ぶの何度目だろう…と思いながら呼びました。

プロなので、仕事の早いこと!

あっという間に降ろして頂き

搬送されました。

 

到着後は、検査待ちです。

 

コロナにビビっていた時期です。

今思えば、皆んなの協力もあり

全然大丈夫だったと思うんだよね〜

 

どれくらい待たされたかな?

3時間くらいだったかな?

2時間だったかな?

 

呼び出され、診察内容と

延命措置の確認をされ

(これは年齢関係なく確認されると思うので本人と話しておいた方が絶対にいいです)

うちは、認知症になる前

オカンとニュースで話題になると

よく話していたので

確認された瞬間、『しなくていいです。』

認知症になる前に本人も

そうまでして生きたくない。と言っていたので…伝えました。

年齢も年齢だから、

無駄にツライ思いしなくていいです。

と伝えたら、先生も頷いてました。

 

脱水症状も強いし

炎症反応も強いので

入院して治療して検査になりました。

 

多分、入院になると思っていたけど

入院準備していかなかったので

病棟に通され、必要な物を聞いて

(何度もお世話になってるので知ってるけど)

新しくなった病棟は、初めてだから

部屋も綺麗になって広くなってた。

必要なものは、翌日でもいいと言われたので

オムツ関係、普段なら近くのドラッグストアで

購入するところだけど

家に大量にあるので、それを使わねば!です。

 

オムツ関係、数枚は持参していたので

それだけ置いて帰宅しました。

 

毎日、睡眠不足で入院までの数日は

寝たのか寝てないのか分からない程

寝れてなかったけど

寝れる環境になっても眠れない。

寝ても呼ぶ声の空耳が聞こえて飛び起きる。

この現象は、オカンが入院して2週間程続きました。

今思えば、この頃心も身体もボロボロだったんだろね…

誰にも言えず、頼り方も分からず

相談する人も居なかったし

決断も全部私。

毎日がしんどかった。

ちょっと優しい言葉かけられると

直ぐ涙腺崩壊するくらい

追い詰められてたと思う。

この頃、初めて友達の前で泣いてしまった。

本当に申し訳ないことしてしまった。

泣かれると困るの分かっていても

止められなかったんだよね〜

 

そんなこんなで入院中

コロナ禍の最初の年。

まだお見舞い規制もされてなかったので

看護師さん達の負担が少しでも軽減できれば

と思い夕飯時間だけでも手伝いがてら

毎日通いました。

最初の頃は、食べない状態だったから

点滴だったけど

それが取れる前に看護師さんが

相談に乗ってくれて好きな物を伝えたら

先ずは食べれそうな物から出してみてしょう。と仰ってくれました。

フルーツから始まって少しずつ食べれるようになっていきました。

これは、間違いなく看護師さん達のお陰です。

ご飯もお団子みたいに食べやすいように

してくれたり凄く工夫してくれてました。

完食こそ出来なくても

そこそこ食べれるようになってくれて安堵してました。

食べれないと元気にならないからね〜

 

毎日、顔出していたから

看護師さん達にもいろいろ聞いたりして

『よくこの状態で見てたね。一人で見てたの?』と言われたりしました。

『私以外の誰も居ないのでそうです』と答えるしかないよね…

どうも夜になると私を呼んでたみたいです。

まぁー本人動けなかったからだろうけど…

名前だけ有名になってたかもね(笑)

 

入院して一安心していたら

次は、退院後の事です。

次から次へと頭痛いです。

 

違う意味で追い込まれていく事

この頃の私は、まだ知らない。

 

あ〜一人っ子は、シンドイです。

 

 

おかん観察日記 13 (最悪の月)

これは、2020年3月の話です。

 

先月もなかなか大変でしたが、

今月のオカンは、急激に悪化していきました。

そして私の体力と精神がジワジワと削られていきました。

 

日中逆転。

ショートスリーパー

ずーっと呼ぶ。(動けなくなる範囲と供に呼ばれる回数が増えていきました。)

食べない飲まない。(これが1番困ってました)

 

訪問リハビリを週二回頼んでいたので

いろいろ相談に乗って貰いました。

聞いて貰えて心が軽くなったのを今でも覚えてます。

 

でも段々弱っていって

この頃、水分を200ml飲んでくれるかどうかでした。

 

薬の事もあり、かかりつけ医にこの月は受診をさせると約束していましたが

とてもじゃないけど連れていけない。ので

電話で相談して事情が事情だからと処方して貰えました。

その時、今の状態も心配なので

なるべく早く訪問の先生に診て頂いた方が良いとアドバイスを頂きました。

 

ケアマネさんに事の成り行きを話して

こっからの動きは早いですよー

全部、ケアマネさんがやってくれました。

 

かかりつけ医に連絡取って下さり、

紹介状を受け取りに行って下さって

訪問の先生の所に渡しに行って下さり

今の状況を説明してくれて

早く一度診て欲しいとお願いまでしてくれてました。(後日、先生から教えて頂きました) 

普通の手順をぶっ飛ばして訪問診察して頂けました。

 

本当に有り難かったです。

私がしたのは、病院に電話一本しただけです。

 

相談してから、流れ作業のように

進んでいきました。

 

訪問の先生に診て頂き

訪問診察開始の手順を先生から

教えて頂きました。(これは本当は、事務の方とする事みたいでした)

 

症状は、さて置き

先生に選択を迫られます。

 

①  訪問医療では、詳しい検査が出来ないので(血液検査は出来ます)このままの状態で家で過ごすか。

 

②  一度、大きな病院で検査をして貰ってから訪問医療に引き継ぐか(こっちが正規の訪問医療に引き継ぐ理想みたいです。)

 

①の選択肢を聞いた時、衝撃でした。

私には、こう聞こえたのです。

 

『このままそっとしておいて看取るか』

 

いつかは来るだろうお別れを

突きつけられた瞬間でした。

 

いやいやいやいや

いろんな事があって、

華麗に復活してきたオカンが

こんな最後はイカンだろ!

 

1番なってほしくない

認知症になりかけてても

こんな最後はイカンよ!

 

自己満でも良いよ!

私が後悔しない為に

②を選びました。

 

その返答を聞いた先生が

オカンに説明して

『今日、今から救急車で病院に行くか

明日、自分で病院に行くか

どっちがいいですか?』

 

明日、自分で行きます。と即答だった。

多分、そう言うと思ったよ…。

 

病院に紹介状を送っておくので

必ず、連れて行って下さい。と

言われました。

 

さてさて、介護タクシーを頼まねば!

と思いケアマネさんにお願いして

階段から降ろして貰わないといけないので

2人体制でお願いしました。

 

バタバタだったけど

先生に診て頂けて、先がみえたような気がして

早く朝が来てほしいと本当に久々に思ってました。

 

この日の夜は、心が本当に軽かった。のを覚えてます。

多分、そのまま入院になると思ったけど

入院の準備しなかった。

悟られて病院に行かない…って言われたら凄く困るからね〜

 

明日も一人っ子は頑張ります。

おかん観察日記 12 (益々、悪化していきます)

これは、2020年2月の話です。

 

あれから…おかん。

1月の3日、復活して動けなくなる。を

繰り返して2月に突入しました。

食も細くなりましたが、

インスリンの自己注射を打たなくてはいけないので

頑張って食べてくれてました。

 

ベッドから降りてしまう案件は、継続中で

この頃は、ベッドレンタルしてなかったので

柵がないから防ぎようが無かった。

 

私の帰宅後、必ずベッドの下にいたオカン。

それが、トイレに行こうと思って途中で行き倒れていたり…して…

戻ることも出来ないので行き倒れている。

季節は真冬でパジャマ。

いくら暖房ついてても寒いに決まってるし、

その姿を見ると辛くて仕方なかった。

 

本人は、立てる記憶があり

自分が立てなくなったという事を忘れて

トイレに行こう。と思うんだろうけど…立てないんだな…

 

主治医とケアマネさんにも相談して、

訪問リハビリを頼んでみる。

週二回、40分。

理学療法士の方が、とても良い方で

いろいろ心配してくださり、アドバイスもしてくれてました。

 

話せる相手が1人増えて有り難かったが…

 

私は、ジワジワと追い詰められていっていた。

 

親の老いと認知症の進行。

 

親だから許せない(親だってなりたくてなってないのわかってても)

しっかりしていた時と、どうしても比べてしまう。

頭では理解していても心が納得してなかったんだと思う。この頃は…。

親の老後で、1番なって欲しくなかった病気が認知症だった。

これは誰でもそうだと思うけど。

私の中で、意志の疎通が出来ないのは相当キツイことなので

絶対になってほしくなかったから

何年も前から、あれやってみたら?とか

いろいろ口を酸っぱくして言ってみたものの

本人が元々、出不精の運動嫌いときてるものだから

今に至っているんだと思う。

 

何十年も前に交通事故に遭って

人工関節になってるから

歩くの異常に遅いし…

今更、何を言っても時既に遅し何だけどね。

 

そんなこんなで沸々と溜め込んでいっている私に

精神的に追い込む事が起きた。

 

訪問リハビリを頼むにあたって

主治医の許可がいります。

本人、動けないし…どうしたらいいか電話で相談したら

今回も薬だけ処方してくださるとの事。

訪問リハビリの件も頼まなくてはいけないので

薬を取りに行きました。

 

主治医と今の様子を伝えたら…

『今の状態だと通院出来ないだろうし

来てもらわないと検査出来ないから

訪問診療を考えてみてください。』

 

………はい。

(とは言ったものの心では、見放された。と思った瞬間でした)

 

主治医と患者だけの関係でも

15年くらい診て頂いて信頼しきっていたのもある。

 

心にダメージを受けながら帰宅。

もれなくオカンは、ベッドの下。

 

「何処行ってたの?」と聞かれ

あなたの薬を取りに行っていました。と

伝えたら…「ありがとう」

まだこの頃は、病院の存在も主治医の事も

言えば思い出してくれてたんだよね〜。

 

ケアマネさんに相談して

ケアマネさんの担当されている方の

訪問の先生に一度打診して下さるとの事。

有難い。

訪問診療、考えた事もなかったので

本当に助かりました。

 

そしてこの頃のオカンは、

ご飯も一食になり(自己注射の為に食べてる感じ)

いっぱい飲んでいた水分も取らなくなっていきました。

食べない飲まない。

脱水症状も気になり、

2月8月は、脳梗塞が起き易いと

前に看護師さんが教えてくれたので

気になるところです。

 

飲んでくれる時は、栄養が高めの物を飲んでもらっても

足りないと思いつつ、やってた。

 

毎日が試行錯誤

答えが見つからないジレンマ

 

体力、気力、精神的に追い込まれていきます。

誰でもそうだと思うけど

睡眠が取れないのが1番シンドイ。

元々、私は長時間寝るタイプの人なので

ジワジワと疲労と共に寝不足も蓄積されていきます。

私の病気には、ストレスが1番ダメなのに!

めっちゃかかってる。

 

この頃には既に日中逆転になっていたオカン。

そして年寄りは、ショートスリーパー

勘弁してよーと何度も言ったけど

言ってもその瞬間しか覚えてないみたいで

夕方くらいから覚醒し始めて

真夜中から朝が絶好調のオカン

マジで勘弁して欲しかった。

 

2月の頭に自力で立つとこ見たのが最後で

訪問リハビリの時も立てそうで立てない。

 

なかなか思うようにいかない。

今思えば本人シンドイ言ってるのに

無理無理やらせている私もなかなかの鬼ぷりでした。

 

なんやかんやの2月。

こんなのまだまだ序章だとは想像もしてなかった。

 

 

本当に一人っ子の一人介護はいろんな面でシンドイです。

 

投薬開始から1ヶ月半ごろ

これは2020年2月中旬頃の話。

 

血液検査で特に異常なく。

頭皮にも変わりなく。

副作用も出てないので

このまま服用して、様子見をすることになりました。

 

次回は、2ヶ月後。

 

この頃の私はまだ知らない。

これから1ヶ月後に

薄っすら生えかける髪の毛と

ご対面することを…😊

 

頭もマダラに抜け…😱

(これは白髪が多いからだと思います)

眉毛もマダラ…😱

なんでよー

左なんて、両端は残ってて

真ん中抜けた。😭

どっちかによって頂けると

私個人的に有難いかったんですけど…

眉毛のせいで前髪短く出来ないのが

最大のイライラです!

言うまでもないけど

前髪、白髪が多いので

そこそこあるのです。

いらん情報でした。

 

皆さんの髪の毛は抜けませんよ〜に!

 

 

 

おかん観察日記 11 (新しい年、新たな戦い)

これは、2020年1月の話。

 

1月それは、おかんの誕生月です。

糖尿病なのでご馳走とまではいかないが

好きなものが食卓にあがります。

甘い物好きでも洋菓子系は好みじゃないので

大好きな『おはぎ』を出しました。

 

昔は、甘いものなんて見向きもしなかったのに

糖尿病恐るべし!

お酒の飲み過ぎでも糖尿病になるんですよー

お酒好きな方は、お気を付けくださいねー

 

穏やかにお正月が過ぎ

(お餅のおの字も言わなかったので出しませんでした)

おかんの誕生日も過ぎ

内科の受診日前日の事です。

それは突然やってきた。

 

夕飯後、おかんコタツに潜って暖をとり

トイレに行こうと立ちあがろうとした瞬間。

『立てなくなる』

私を呼んで「立てない。右足にチカラが入らない」

えーマジか!

それもそうだが、トイレ行きたいんだよね?

この頃はまだ失敗はあれどリハビリパンツに対して

勿体ないのと抵抗感があり普通の下着にパットだけだったので

このままでは大惨事が起きる!

前に入院した時のオムツの残りがあったので

了解を得て、装着!

凄く久々にやったので、なんかピタッとこない。

 

にしてもうどうしよう。。

救急車?

大袈裟か?

でも脳梗塞一度やってるし〜

2年くらい前に1度、足にチカラ入らなくなる事件が起きた時

全部調べたけど原因、分からなかったんだよね〜

その時にまたなるかもしれない。と先生に言われたし

それかな?とか色々考えても分からない。

本人は、その内治るわっ。とか言ってるし…

 

この頃、コロナの声が聞こえ始めていて

こんな事くらいで病院に行ったら駄目かも。と

思ったのをよく覚えている。

この時の判断が後々、大変な事になるとは思ってもいなかった。

完全なる私の判断ミスです。

あの時、救急車を呼べばよかった。と後悔するのです。

 

この後、3日くらいしたら立てるようになり

トイレにも普通に行けるようになったけど…

また3日くらいしたら立てなくなるを繰り返す。。。 

 

そして立てないのに立てると思いベッドから

降りてしまう事件が幾度となく繰り広がれ

コレがかなり私の負担になっていました。

マジで!

頑張って上がったのに直ぐに下に降りて呼ぶ!みたいな。。。

何でか知らんけど、ベッドのキワキワに寝てるので 

ズルズルと落ちて呼ぶ! 

立てなくなった重い人を上げるの大変なのよー

腰も痛くなるし…。

日に日に回数も増えている上に

動かないせいもあると思うけど

徐々に食欲が減っていきます。

これは非常にマズイです!

 

我が家には

おかんが食べれなくなったら重病化する。という

いや〜〜〜な方程式があります。

 

でもどうしたらいいか分からない。

唯一言える相手、ケアマネさん。

助言はくれども答えが? 

毎日、自問自答。

ネットで調べても?

 

後で知ることになる

「家来るドクター」の存在。

この時知っていたら間違いなく呼んでいた。

藁にも何にでも縋りたかった一月。

これからドンドン悪化していくことになる事になるとは

なんとなく分かっていました。

 

一人っ子お一人様には辛い1ヶ月でした。

 

おかん観察日記 10 (束の間の休息)

これは、2019年12月の話。

 

この月は、本当に穏やかだった。

病院行く行く詐欺もひと段落していたし

 

私の方の治療は、ちっとも上手くいかなくて

治療を断念するか、さいごの砦

薬物療法』を試すか。

これに関しては、↓ 此方です。

kinako25.hatenablog.com

 

 

で、そうこうバタバタしている間に

おかん受診日です。

認知症の薬があったみたいで

ビックリするくらい同じ行動しなくなった。

私個人的に衝撃でした。

そんなんだから、通院もすんなり

予約日の予約時間に受診出来ました。

薬凄っ!って思ったのは言うまでもありません。

先生にもその旨伝えてたところ

私も興奮気味に言ったので

『そんなに?』と言われ

そんなに!です。と返答した。

何事もなく受診は終わりましたが

まさかこの日が、おかんが先生に診てもらうのが

最後になるなんて思わなかった。

 

少しだけ元に戻ったおかんとの

少しだけ心穏やかな年末ですが

こんな感じなので、特にお正月らしいこたしない

我が家でも最低限のことはするわけだが

言わないんだよねー

毎年言ってる事とか。

年末の買い出しの時も

リクエスト聞いても

お節関係の食材…言わないんだよね。

大好きなお餅の事も言わないんだよね。

こんな調子だから今年は、私がやらなきゃいけないのか。

と思った瞬間、我が家にお正月は来ない事に決定しました!

てか、手が回らない。

クタクタ過ぎて無理です。

うま煮だけ作って、後は買いました。

いつもより更に年末らしくない年末でした。

 

この時の私は知らない。

来月から、大変な目にあうことを…

本当に嵐の前の静けさでした。

 

今年も頑張った!

介護が本格化する最後の年でした。

 

今でこそ、冷静に書けるけど

リアルタイムで書いていたら

凄く感情的にに書いていたのかもしれない。

と、思いました。

 

おかん観察日記 9

この話は、2019年11月の話。

 


時が流れようと

月が変わろうと

病院に行きたくない病は

継続中〜

 


紹介状の有効期間?ていうのか?

だいたい3か月くらいだから

10月の内は、まだ心の余裕があった。

しかーし、11月の声が聞こえそうになったら…

焦りがジワジワジワジワと…

 


今回の場合は、眼科のついでに

認知症の検査して貰いたいから

どうしても納得して行ってもらわないと!

 


いろいろ調べてみて

騙していくのが

後々、ややこしいことに

なるパターンが多いみたい。

 


毎日、毎日、念仏のように

誘ってみます。

 


どっちにしろ

眼科は、必須診療科なので

目薬無くなったら

本当困るし。

 


にしてもなんなんやろ。

明日行く。明日行く詐欺は…

 


そうこうしているうちに

半ばになり

最後の週です。

 


流石に焦る。

そして行く行く詐欺は続く。

 


イライラMAX

もう、ずーとイライラしてて

何言われても怒ってしまう。

行く病院は違えど

8月下旬くらいから

同じ事をやっている。

 


私の病気は、ストレスが最大の敵なのに…

 


もうどうでもいい感が出てきた。

言うだけ言ったし、

私の最大限でやってみたけど

そんなに行きたくないんだったら

仕方ない。好きにしたら良い。

その代わり、今後一切私を頼らないで

全部自分で判断してやってください。

と、最後の週の木曜日の夜に

お伝えしました。

そう、私の中タイムリミット1日前の事です。

 


暫く考えて、『明日行く。』との事…

 


私「そうなんだ」

ちーとも本気にしてない事

分かってくれますよね?

今までが今までだからねー

本気にする訳ないじゃん。

もう期待して、行くつもりで

支度してる最中の

『今日はやめとく』発言に

何度ガッカリさせられたか…

はぁ〜

また、それでしょ。と思っていたら…

 


今度は、本当でした!

自ら朝、支度してました!

 


今までの時間が何だったかなんて

思ったら負けです。

余りにもアッサリ過ぎて

初めからこの手を使えばよかったのか?は謎ですが

先ずは、本来の病院です。

 


紹介状出して

元々、通院してるところだし

眼科も予約の日じゃないけど

目薬無くなりそうだし…

説明して、入れて頂きました。

 


眼科だけなら

いつも暇なんだけど

いい感じに忙しかったです。

 


神経内科の先生に

今まで起きた事を口頭で伝えました。

 


言い忘れると嫌なので

年代別に纏めてみたものも

持参しましたが

口頭で応えて欲しかったみたいです。

見てもくれなかった。|( ̄3 ̄)|

まぁ〜聞きながら打ち込みたいからなんだろうけど。

 


この時、病院は絶賛立て直し中で

建てながら壊す。という

かなりめんどくさい方法で

着工中でした。

 


で、やっと行けたのに

この時、MRIを古い建物から

新しい建物に移動している期間だったらしく。

他の病院で撮ってきて貰わないと

いけない。と言われて…

「無理です」と即答してしまった。

今日来るのもどれだけ大変だったか伝えてみたら

精度は落ちるがCT撮って

判断してくださることになりました。

有難い。

此処には、定期的に入院しているので

過去の画像との比較が漏れなく出来ます。

で、結果新しい脳梗塞もないし

萎縮もないとの事。

『何らかの認知症』だそうです。

心の中で、「やっぱりね」と思ったのは言うまでもないと思います。

なんやろなぁー

私の思い込みじゃなかった。

おかんは、そう言われて

どう思ったのかは知らないけど…

私の中のモヤモヤが晴れた瞬間でした。

 

先生に今後の事を相談員の人に

相談してみますか?と問われ

「是非!してもらいです。」と即返答!

もう藁にも何でも縋りたい!

そんな心境だったなぁ〜

手探りでここまで来たけど

何が正解か全然わからないし

圧倒的に知識が無かったので

誰にでも何でも聞きたかったのです。

 

そこでいろいろ教えてもらった。

初対面の人だから言いやすかったのか?

言う人居なかったから溜め込んでいたからか

ほぼ全部言った。

 

初めて人に話したので、泣きそうだったけど

我慢して(泣き出したら止まらないし、困らせるだけだから)

頑張って話した。

 

1人では絶対に無理だから

もっと介護保険を使いなさい。

ケアマネさんにもっと相談して!と言われた。 

何処まで言っていいか分からない。と伝えると…

希望が全部叶うかどうか別に

全部言って!とも言われた。

この時点で、介護度2だから

区分変更かけて3になったら

今後、特養に申込だけ申込のも手だよ。

とも教えてもらった。

有料の高級老人ホームは、

介護度関係ないかも。

でもお国がやってるところは

介護度3以上じゃないと

申し込む権利もないみたい。

後から調べてみたら特例もあるみたいだけど

家は、その対象じゃなかった。

まぁ、この時点でそこまで

まだ頭が追いついてなかった。

一つの知識として吸収は、させてもらいました。

 

いろいろチラシをもらって

何か相談したい事あったら電話してね。

と仰って頂き、聞いて貰えるだけで

こんなに楽になるのか本当に実感した。

 

薬を受け取り、その足で

かかりつけ医の所に言うまでもない。

 

此処で、自己注射が2本になった。

1日3回の自己注射を

1日1回にする為のもう1本追加である。

コレが高級らしい。

先生が私の負担を減らすべく考えてくれたこの注射が

後々、断られる理由なるなんて

この時の私はしらない。

 

新しい自己注射のレクチャー受けて帰宅。

新しい薬なので血糖値下がり過ぎるといけないから

2週間後に来院してくださいとのこと。

「はい」と言ったものの

内心、連れて来れるかな?と

思っていました。

 

お願い認知症の薬、効いてください!

 

 

やっと私の中で一歩前進した気がした。

 

自己注射も一本増えたから

気は抜けないけど…

ここ半年は、打つ単位もあやふやになるみたいで

何回も聞きに来たりしていたけど

打つ回数を減らすのは、

1回で覚えたのは、ビックリしたけど…

それだけ負担だったんだろうなぁ〜と思う。

この時でこそ、見守りながら打っていたけど

記憶があやふやな日とか

打つの確認して、ちょっと片付けして目を離した瞬間に

勘違いしてまた打とうとしたりするもんどから

怖いのなんの!

私が居ない間に打たれると困るから

隠して出掛けても見つけて打っていたり

😱

まぁ〜しまってあるのが冷蔵庫限定だからなぁ

あの時は、本当大変だったなぁ。

 

でもこれもまだまだ序章なんて

思いも想像もしてなかった。

まぁ〜目の前の事で精一杯だったからね。

 

ほんの束の間の安らぎが

暫く送れます。

嵐の前の静けさだったのかもしれない。

今思えば…。

 

本当にお一人様の一人っ子は辛いです。

でもやるしかないのです。

がんばれ私!